ミトココロノココロミ

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体はしゃべる

超久々の更新。

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芝居についてあても無く考える。
しかし,現実問題としてどうしようという見通しも立たず。
潜在意識ではすでに諦めているからなのか。
それとも具体的な動きを起こしていないからなのか。
こんな悶々とした問いかけを延々続けている。
多分,諦めているわけではない。
具体的な行動も何もしていないわけではない,と思っている。

悶々としながらも,
とりあえず芝居についてあても無く書いてみる。

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体はしゃべる。

しゃべるのは口だけではない。
体もしゃべっている。
私たちは無意識のうちに
口では隠した感情を体で表現してしまうし,
他人の体に表れた信号を
知らずに察知しながらコミュニケーションをしている 。

「いやよ,いやよ,も好きのうち」というが,
それが本当の「いや」なのか,「実は好き」なのかは,
体でわかろうというものだ。

もとい。

だから,そこにウソがあるとお客さんは見抜いてしまう。
明確に指摘できないまでも,
妙な違和感を抱えさせて帰らせることとなる。
なぜなら,お客さんもそういう非言語のコミュニケーションを
日常行っているからだ。

書きながらも,なかなかに難しいことではあると思う。

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役者って徹底した客観視と徹底した主観視の間で
常に振動をしなければならないのですよね。きっと。

私,立ちます。

明日(今日)から舞台本番が始まります。
前にも書いたとおり,
今回は京都に始まり,神戸,東京,大阪の四都物語。
基本乗り打ちの強行軍。
明日も京都で一発勝負!
お目にかかれる皆さん,
会場でお待ちしております。

言葉と心 その2

私は非常に影響を受けやすい単純な人です。
殊,自分に対する評価に関しては
とても暗示にかかりやすい・・ように思います。
要は「アホ」なんですね
(とは言っても,変にほめられることに関しては,
すごい疑心暗鬼にかかりますが)。
前に,自ら発する言葉で,
自らの心の有り様が変わる,と書きましたが,
やはり,他人から得られた思わぬ評価によって,
こちらの心のあり方が変わるということもありますよね。
まぁ,これは自分でかける暗示か,
他人からかけられる暗示か,というだけの違いですが,
やはりこれって大事なことだと思います。
相手の心を侵食し,じわじわダメージを与える
「呪いの言葉」を吐くのは簡単です。
他人の可能性を開く言葉,
そんなものについて考えていかないといけないな,
と36間際の夜に考えてみるわけですよ。
でも・・
これって相手の心が開かれていないと
どうしようもないんですけどね。

えらい人

どこにでもいますねぇ,えらそうにものを言う人。
で,えらそうに言うからには
その人がよっぽどしっかりした人でないと
何の説得力もないわけですね。
だから,人はえらそうに言うにしても,
あえて自分のことは一度棚に上げて言うことになるわけです。
そうでなければ,えらそうなことなんて
とても言えませんからね,恥ずかしくって。
これは塾の講師として
小学生相手に話していてもいっしょです。
で,意識して棚に上げるのと,
棚に上げたことに無自覚なのでは,
言ってることは同じでも,
大きな違いだと思うのです。
前者は普通の人,後者は単なるアホです。
ましてや,「自分はすごい。他の人はカス。」とか
思ってるとしたら,救いがたいアホです。
こんな人は絶対甘やかしてはいけません。
すぐ図に乗ります。
で,反撃されるとすぐ凹みますが,
すぐ立ち直ります。アホですから。
こんな人には到底まともな社会生活は送れますまい。
ご愁傷様です。

親子学習法

最近,一部の雑誌の特集などで,
「失敗しない親子の受験勉強法!」
とかなんとかこういう見出しを見る。
こういうのを見るにつけ,
「別に,子どもに『楽しいねぇ』って言いながら
やらせりゃあいいじゃねぇか」と思う。
あの手の特集が重宝されるということは
(よくは知らないが,特集されるということは,
そういうニーズがあるということだろう),
要は,勉強に関心を持てない子,
あるいは受験勉強に不向きな子
(これと「勉強に不向きな子」は異なる)に
強制的に勉強をさせたい親がいるからだろう。
(もちろんあの手の雑誌の特集は,「親子」と書きながら,
子どものためのものではない)
しかし,これは子どもにとっては極めていい迷惑だし,
親にとっても実に不毛な努力だと思うのである。
水を飲む気の無い牛を,
いくら川べりに引っ張っていったって,
牛は水を飲まない。
水を飲ませたければ,
牛に「水を飲みたい」と思わせることだ。
で,今の親たちは,その「水を飲みたい」と思わせる段階で
失敗しているのではなかろうか。
塾で父兄の対応をするにつけそう思う。
(もちろん,まともな親御さんもいる。
あくまで,私の目から見ての話だが。)
もし,子どもたちに,
「今から勉強しておけばね,将来はお金持ちになれるのよ!」とか
「将来医学部さえ行ければね,あとは今のお父さんの病院をつげばいいのよ!」とか,
そんなことを言った上で,
「さぁ,だから勉強しなさい」とか言ってるのだとしたら,
どうしようもないアホだな,と思う。
そんな実利的なことで動く子どもがいるか,バァカ。
子どもは楽しいことにだけエネルギーを注ぐのだ。
勉強させたけりゃ,楽しいと思わせてみろ。
でも,気の毒なことに,
楽しませるというのはそんなに簡単なことではないのだ。
ざまぁみろ。

言葉と心

とあるメールを打ちながらこう考えた。
言葉というのは心のあり様を表現するだけでなく,
逆に,言葉にしてみることによって
心のあり様が決まることもある・・気がするのです。
例えば「~になるといいね!」とか,
相手に対して口に出して言ってみることで,
「あぁ,本当に~になるといいなぁ」という思いが強くなる,
とかいうことないですか?
場合によっては思ってもいなかったことを
言葉にして出してみた途端に,
それが新たな感情として生まれてきたり。
で,そこから派生して考えたのですよ。
最近,
「うぜぇ!(訳:生理的に受け付けません)」とか
「きもい!(訳:気持ちが悪いです)」
「意味わかんな~い!(訳:頭が悪くてわかりません)」とか
いう言葉を簡単に口にする者がいるが,
彼らは,心が荒んでいるから
こんな言葉遣いをするのかというと,
ちょっと違う気がしてきたのです。
彼らは,こんな言葉遣いをしたから
心が荒んだのではないか,と。
言葉の遣い方によって,精神のあり方まで変わってくる。
そんな気がするのです。
美しい言葉って大事ですよね,やっぱり。

三十六でも立つ

私,ンダカコウジ,
また,いつもお世話になっている劇団「はいてっくくねくね」さんの舞台に立ちます!

間際になりましたが,告知いたします!

なんと今回は,関西では京都・神戸・大阪,そして,な,な,なんと!
東京にも行っちゃいます!
自分が出る芝居で東京に行くのは初!

よろしければ是非お越しください!
珍しくムダにテンション上げるンダカを見ていただけるかも。
アドリブ恐れず,テンション高くいきます!

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はいてっくくねくね第11回公演「FM NOISE」

作・演出
 後藤雄一
出演
 菅原敦・小野加奈 / 荒川敬浩・小川綾(ダブルキャスト)
 中尾亜希・松本千代子・たかはたひろこ・吉弘一秀
 枝松千晴(La Luce!)・ンダカコウジ(フリー)
会場・日程
 〈京都〉新風館3F トランスジャンル
     8/6 17:00開演
 〈神戸〉ギャラリー神戸天昇堂
     8/20 13:00/17:00開演
 〈東京〉Cafe FLYING TEAPOT
     8/26 17:00 8/27 12:00/16:00 開演
 〈大阪〉細野ビルヂング
     9/3 15:00/19:00開演

料金
 京都・神戸・大阪 前売1,000円 当日1,200円
 東京 1,000円+ドリンクチケット500円(前売・当日共通)

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来ていただける方はご一報ください!詳細を別途ご連絡いたします!

嘆願

先の奈良での放火殺人の件で,
逮捕された少年の通っていた学校の保護者有志が,
寛大な処分を求めて署名活動をやっているのだそうで。

曰く「どこでも起こりうる話」
曰く「彼だけが特別ではない」
曰く「精神的につらかったのだろう」

・・。

なんだかなぁ・・。
こういう世界を支えている保護者の知能レベルって
しょせんこんなもんなんよなぁ,やっぱり。

自分の人生をリセットしたかったんだかどうだか知らんよ?
でもね,それなら自分が死になさいって。
人を殺しといて寛大な処分も何も無いでしょうよ。えぇ?

「どこでも起こりうる話」?
冗談じゃない。
こんなものどこでも起こりえてたまるか。
そんだけ殺伐とした家庭しか築きえなかった
自分のダメっぷりを反省しなさい。バカタレ。

「彼だけが特別じゃない」?
あぁ,そうでしょうとも。
辛い境遇の子なんていくらでもいるでしょうよ。
だからこそ,その中で彼だけが人を殺す方向に
走ったってことは許されるべきじゃないって話ですよ。

「精神的につらかったのだろう」?
アホか。みんな辛いっつうの。
精神的に辛かったら,人殺していいって理屈ですか??

ったく,どいつもこいつも・・。

この署名活動に対して,
「そんな我々のアホっぷりを晒して,
恥の上塗りをするような行為はやめなさい」
という反対運動は,
保護者有志から出てないのかしら??

趣味

塾が,ある程度経済的に裕福な家庭の子しか
来られない場になるというのは,とてもけったくそ悪い話である。
それも,旧態依然とした,
いや,昔よりも輪をかけてひどくなりつつある,
親の「偏差値ファシズム」みたいなものに巻き込まれるなどというのは,
気分が悪いことこの上ない。
将来,そんなやつらをチヤホヤするアホがいるのかと思うと,
虫唾が走る。

趣味で教え,趣味で教わりにくる。
そんな場ができないものだろうか。
教育の現場はもっと健全にならなければと思うのである。
甲野善紀さんなどが提唱するような「新しい体育」を
教える塾なんていうのもあってもいい。
いいなぁ,「体育塾」。ビジネスにはならんだろうけど。
「保健」もつけて,「保健体育塾」なんてどうだ。
保健は私が教えるってことでどうだ。
それは後で考えるとして,
とにかく趣味的な塾ってあってもいいように思うのである。
いや,保健のことではなく・・。

斬捨御免

敬愛する内田樹さんの本を読んでいるとこんな話が載っていた。

「むかしの人は刀をさしているから,左側の腰の後ろに数十センチのでっぱりがあった。これを当てることは『鞘当て』といって武士としては大変に恥ずかしいことで,鞘と鞘があたった場合は『無礼者』と言ってふりかえりざまに斬ってしまうような失態だったわけです。だから,これから進む空間だけじゃなくて,通り過ぎた空間に対しても気を配っていないといけない。(中略)そういう空間感覚は,現代人はあきらかに落ちてますよね。」

「鞘と鞘が当たった時って,どっちが斬るの?」とか,
「鞘って・・どの鞘?」とか,そういう疑問とかはさておき・・。

私は,街中を歩いていると,とてもイライラすることが多い。
で,このイライラの原因のほとんどは,
歩いてるやつらのこの「空間感覚の無さ」ゆえである。
人が近づくまでその存在に気付かずまっすぐ歩いてくるやつ,
気付いても人をよけないやつ,
後ろから人が来てて邪魔になってるのに気付かないやつ,
傘を水平に持ってそれを振りながら歩くやつ・・ほんとにイライラする。
で,あまりにも腹が立つので,わざとこっちからぶつかっていったり,
傘を水平に振ってるやつには,わざと刺さりに行って「いってぇ!」と叫んだり,
後ろから偶然を装って傘で傘の先を叩いたりする
(そんなことを話すと,ツマさんに「あんたいつか殺されるで」と言われた・・)。
我ながら大人気ない行動だとも思うが,でも,いいんだ。
むかしなら斬り殺されてるようなやつらなのだから。

しかし・・あの空間感覚の無さは病的だとさえ思う。
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