ミトココロノココロミ -3ページ目

交感

「私はあなたのことよくわかってますよ」

こんなことを言う人が現れたらあなたはどう思いますか?

正直、「冗談じゃねぇ。そんな簡単に理解されてたまるか」と思いませんか?

でも、「理解されてたまるか」ってことを前提に生きているとしたら、コミュニケーションの意味自体が無いことになりますね。いや、「理解されてたまるか」ってのが本当のところだとは思いますが、それが前提だとするとあまりに寂し過ぎると思います。

コミュニケーションの要って「気持ちよくキャッチボールができること」と「お互い適度に不可解」ってことのような気がするのですが、いかがでしょう?このどちらもそれなりに難しいことだとは思いますけどね。

品格

「国家の品格」なる本が売れているそうで。
amazonのレビューにはこんなことが書かれている。

日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論。

一行たりとも読んでいないどころか、
本屋で手に取りさえしたことが無いからよくわからないが
(民主主義より武士道精神、って何だ?)
分からんことは無い。

自虐史観の問題はともかくとして、
日本という国が必要以上に自虐的になっているとは私も思う。
それどころか対外的に誇るべき文化もあると思う。

「日本には宗教が無い」?
冗談じゃない。日本では色々なものにカミが宿っているのである。
そしてそれが衝突するでもなくそれぞれのポジションを守っている。
なんて民主的なカミ様なんだろう。
なんて素晴らしく融通無碍な宗教観。
ヤオヨロズのカミ的発想は、
宗教戦争を繰り返す世界中が見習うべきお手本だと思う
(「余計なお世話だ」と言われるのだろうが)。

マータイさんに紹介されるまでもなく
「もったいない」というのは日本が誇るべき立派な倫理観だ。

ディベート的な論理なんてものも日本人には似合わない。
「なんやわからんけど、あかんもんはあかんねん!」
という生理的な感覚から論理をスタートさせたっていいではないか
(もちろんこじつけになる場合も多々あるかも知れないが)。

昔の西洋人がこんなことを言ったそうだ。
「西洋の文化は罪の文化である。日本の文化は恥の文化である」と。
その罪の文化を支える宗教的な概念というのは、
ジョージ=サル=ブッシュしかり、勝手な解釈をし、
逆にとんでもないことに悪用するアホが出てくることになる。
しかし、日本人に言わせればそんなことは「人として恥ずかしい」のである。
あんな恥ずかしい人に追随する必要なんて何もない。

私はそう思う。

しかし、だ。
何が私をこの本から遠ざけるのだろう。
答えは簡単だ。

「タイトルが悪い」

「国家」というのは政治的な単位のはずだ。
しかし、ここで問題にされているであろうことは、
政治の問題ではない。
もっと個人レヴェルの問題だ。
個人の総体として政治はあるべきなんだろうが、
そんなことが単なる理想論に過ぎないことぐらい誰でも知っている。
逆にこの本を妙に持ち上げる政治家が出てきたら、
そいつには要注意だ。
日本の誇るべき文化をちゃんと対外的に誇ってくれないような政治家たち、
そういう人たちはいわゆる日本人的な感覚からすると
「とっても恥ずかしい人たち」なのである。
そんな人たちに偉そうにされる筋合いは無い。
ましてやそんな人たちに「国家を愛せ」などと言われる筋合いはもっと無い。
まずは個人レヴェルで日本人としての「品」を取り戻し、
自分たちのあり方を愛するのが先だ。
それが「品格」ってもんじゃないでしょうか。

敬意

自分で思いつきで書いたことでありながら、
「敬意」というのは今の時代の大きな問題のような気がしてきた。

他者に対する敬意、
先人に対する敬意、
仲間への敬意、
自分にとっての未知のことがらへの敬意、
人生に対する敬意、
自分の可能性への敬意、
身体への敬意、
高邁な精神のあり方への敬意、
自然への敬意・・等々

色々な犯罪や社会的な問題も、
概ね敬意の欠如によるもののような気もしてくる。

まずは敬意を抱くこと。
愛国心の話なんてもっと後だ。

そして、それは教育の問題である。
マスコミのあり方の問題である。
社会のあり方の問題である。
いや、色んな問題がそうである以上、
こんなことを書いたところで何の解決にもならないし、
指針にさえならない。
ただ、「敬意」は重大な問題だ。
只々そう思うだけである。
せめて、そう思い続けなければ、とは思うのである。

外部

外へ、
外へ出なければならない。
外ってどこだ?
知ったことか。
とにかく動かなければならない。

教育

塾はただ単に知識、受験のテクニックを教えればいいのか。
いや、そうではあるまい。
教育というのは色々なものへの「敬意」や、
それに伴う「感動」であったり、「感激」であったりを
伝えねばならないのではなかろうか。
「人」に対する敬意、
「未知のもの」への敬意、
周りの色んなものへの敬意。
青臭いと言われようが私はそう思う。
これは家庭での教育でもそうだ。
敬意の無いものに、何かを教えることなんて無理だ。
敬意の無いものが成長なんてするものか。
学級崩壊だなんだと言われるが、
大半は家庭での教育の問題のように感じるのは私だけだろうか。

暴力

変な夢を見てこんな時間に目が覚めた。
妙にリアルな夢。
私が塾で授業をしていると、
チェーンソーを持った血まみれの男が教室に殴りこんできた。
私はなぜか近くにあった木刀を手に取り、
その男を渾身の力を込めて殴った・・ところで目が覚めた。
で、眠れなくなった。
色んな意味で許しがたい暴漢である。
この夢のも一つ困ったことは、
これがあり得ない話ではないということである。
それも二通りの意味がある。
一つには、誰しもそういうキチガイからの
いわれの無い暴力に遭う可能性があるということ。
そしてもう一つは、そういう状況になった時に、
私がそいつを殴り殺す可能性もある、ということ。
暴力はいたるところに溢れている。
それはもちろん自分の中にも。
これはやはり困ったことである。

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昔はそういった人間誰しもが持っている暴力性のガス抜きとして
祭りが機能していた、と言う人がいる。
しかし、年中ハレのような、
常に暴力性が顕在化しているような世の中である。
世の中は常にムダなエネルギーを吐き続け、
人は常にイライラしている。
そんな中でガス抜きをする有効な手段は?
これが不可逆な流れだとしたら?未来は暗い。

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自分の中の暴力性を上手に飼いならさなくてはならない。

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「我々の祭りを取り戻せ」(YMO'MUSIC PLANS'より)

ちんことまんこ

友人のシモネッタ氏のブログで知った「おまえがオマケ」。
メールで出回っているそうで。

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「おまえがオマケ」

ある朝僕のちんこが
おまえは俺のでっかいオマケなんだとうちあけてくれた

いわれてみればなるほど納得
僕はちんこが僕についてると思ってたよ
実は僕がちんこについてたんだね

全然協力的じゃない香具師だと悩んでたけど
すうっと気持ちが楽になった
今まで偉そうにしてて悪いことしたな
連れて歩いてやってるような態度でいたな

僕のほうが大きかったから、なんとなく勘違いしてたよ
ちんこの話をよく聞いて
すなおに生きればいいんだ
僕はちんこの、オマケなんだから

ある朝僕のちんこが
おまえは俺のでっかいオマケなんだとうちあけてくれた

きょうから僕は、
ちんこに連れて行ってもらうんだな
どこへでも、ちんこが指すほうへ
ちんこが行きたいほうへ

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そっか、私はちんこのオマケだったんだ。
哲学的なかほりさえ漂います。
個人的には「きょうから僕は、/ちんこに連れて行ってもらうんだな」
というところが好きです。

で、こちらは谷川俊太郎・作「なんでもおまんこ」

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「なんでもおまんこ」

なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああもう毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ

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谷川俊太郎さんはすごく好きですし、
この「なんでもおまんこ」も嫌いではないですが、
この勝負、「おまえがオマケ」の勝ち。

色は匂えど

どうにもこうにも納得いかないことやうまくいかないことが多過ぎて、
なんやらかんやらイライラする。
そんな時は全然関係無いことを書いてみる。
あ、ちなみに家庭は極めて円満です、はい。

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先日、ツマさんのご実家にお邪魔した。
ご挨拶も含め、何度か行っているのだが、
問題はここの飼い犬。
これが恐ろしく私になつかない。
とにかく吠える。逃げる。私をイヤがる。
一度、ツマさんの母上が抱いていたその犬の
アゴの下をなでなでしてたところ、
その犬はアゴを引き露骨にイヤがり、
最後にはなんと!自分の手(前脚)で、私の手を払いのけた。
今までの人生で色々な犬と接してきたが、
こんな仕打ちは初めてだ。
(ツマさんいわく「人見知りするけど、あんなんは私も初めて見た」とのこと。)
挙句は、カニ歩きで私から遠ざかりながら吠えるという器用な芸当までしてみせた。
それ以降、私の中では「バカ犬」のレッテルが貼られていたのだが、
先日うかがった時には、なぜか私になつく、なつく。
こうなると現金なもので、「バカ犬」から「かわいいやつ」に
一気にランクアップである。
が、しかし、一つだけ気になることがある。
この犬、私が立ち上がって上から見下ろすとなんだか怪訝そうな顔をする。
で、試しに体を地べたにはわせて顔を犬より下にしてみると
私の顔や頭をペロペロなめてくる。
どうも私のことを「格下」だと思っているようだ。
くっそ~、バカ犬め・・。

なんだこりゃ。

方々に迷惑かけてたりするんで、こんなところで言い訳をば。
どうにも体調がよろしくないのです。

大体毎年この時期に大きく体調崩すんですが、
今年も恒例のやつがきました。
今年は鼻水、咳、熱に始まり、
最後までこの熱がなかなかおさまらんのです。
家で休んでる分には大丈夫なのですが、
動き出すと途端に熱が上がり始め、
頭痛がし始めます。
困ったもんです。

で、寝過ぎたツケでこんな時間に作業してます。
で、こんなところに現実逃避してます。

要はギリギリまで何もしない私の性格が一番いけないんですけどね。
さっさと仕上げて寝ます。
そして、今週末こそは行きます。
本当にごめんなさい。>関係者各位

芸術

最近「バランス」やら「均衡」という言葉に目がいく。
「目がいく」というのは正確ではないかな。
きっと最近「バランス」とか「均衡」について考え始めているんだと思う。

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芸術はきっとバランスの崩れから生まれる。
バランスの崩れに自覚的な者、
バランスの崩れにあきらめを抱いている者、
巧みにバランスをとろうとする者、とれる者に
芸術はきっと生み出せない。
バランスの崩れに苦しみ、闘いを挑む者にこそ、
芸術は生み出し得る。

綱渡りのように巧みにバランスをとるピエロのような存在は
エンターテイナーにこそふさわしい。
もちろんそれだって悪いことではない。

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友人のシモネッタ氏と会った時に話したことが影響したわけではないが、
最近、小林秀雄の著書を読み始めた。
昔は難解と思っていた氏の著作も
今読んでみるととても読みやすい。
その上、まったく古びていないし、刺激的でさえある。

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神話も読んではおきたいと思っているのですけどね。
どっかからいいのが出てないかなぁ。
手始めはギリシャ神話あたりから。
誰かいい本(訳とか構成とかいろいろ)を知っていたら教えてください。