品格 | ミトココロノココロミ

品格

「国家の品格」なる本が売れているそうで。
amazonのレビューにはこんなことが書かれている。

日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論。

一行たりとも読んでいないどころか、
本屋で手に取りさえしたことが無いからよくわからないが
(民主主義より武士道精神、って何だ?)
分からんことは無い。

自虐史観の問題はともかくとして、
日本という国が必要以上に自虐的になっているとは私も思う。
それどころか対外的に誇るべき文化もあると思う。

「日本には宗教が無い」?
冗談じゃない。日本では色々なものにカミが宿っているのである。
そしてそれが衝突するでもなくそれぞれのポジションを守っている。
なんて民主的なカミ様なんだろう。
なんて素晴らしく融通無碍な宗教観。
ヤオヨロズのカミ的発想は、
宗教戦争を繰り返す世界中が見習うべきお手本だと思う
(「余計なお世話だ」と言われるのだろうが)。

マータイさんに紹介されるまでもなく
「もったいない」というのは日本が誇るべき立派な倫理観だ。

ディベート的な論理なんてものも日本人には似合わない。
「なんやわからんけど、あかんもんはあかんねん!」
という生理的な感覚から論理をスタートさせたっていいではないか
(もちろんこじつけになる場合も多々あるかも知れないが)。

昔の西洋人がこんなことを言ったそうだ。
「西洋の文化は罪の文化である。日本の文化は恥の文化である」と。
その罪の文化を支える宗教的な概念というのは、
ジョージ=サル=ブッシュしかり、勝手な解釈をし、
逆にとんでもないことに悪用するアホが出てくることになる。
しかし、日本人に言わせればそんなことは「人として恥ずかしい」のである。
あんな恥ずかしい人に追随する必要なんて何もない。

私はそう思う。

しかし、だ。
何が私をこの本から遠ざけるのだろう。
答えは簡単だ。

「タイトルが悪い」

「国家」というのは政治的な単位のはずだ。
しかし、ここで問題にされているであろうことは、
政治の問題ではない。
もっと個人レヴェルの問題だ。
個人の総体として政治はあるべきなんだろうが、
そんなことが単なる理想論に過ぎないことぐらい誰でも知っている。
逆にこの本を妙に持ち上げる政治家が出てきたら、
そいつには要注意だ。
日本の誇るべき文化をちゃんと対外的に誇ってくれないような政治家たち、
そういう人たちはいわゆる日本人的な感覚からすると
「とっても恥ずかしい人たち」なのである。
そんな人たちに偉そうにされる筋合いは無い。
ましてやそんな人たちに「国家を愛せ」などと言われる筋合いはもっと無い。
まずは個人レヴェルで日本人としての「品」を取り戻し、
自分たちのあり方を愛するのが先だ。
それが「品格」ってもんじゃないでしょうか。