ミトココロノココロミ -18ページ目

ツッコミがいのある女

ここ最近の日記を読んで、ちびっと気恥ずかしくなってきた。
そうなると一気にブチ壊したくなるのが漢(をとこ)の性(さが)。

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以下の話は、色んな意味で「イタイ」話が嫌いな人は、
読まないことをお勧めします。

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タイトルで変なことを考えてはいけない。
漫才でいう「ボケとツッコミ」の「ツッコミ」だ。

今、アルバイトで入っている某お菓子メーカーの工場で、
作業場が同じところになった、ある女の子がいる。
ちょっと向こうっ気の強い、ハキハキした性格のお姉ちゃんだ。
その子が、作業中に「胃が痛い」やら
「抜糸」がどうこうと言っていた。
その子と休憩時間がいっしょになったので、
食堂にいっしょに行ったのだが、その時の会話。

私「(薬をいくつも飲んでいるお姉ちゃんを見ながら)体悪いん?」
姉「胃がねぇ・・ボロボロなんですよぉ。」
私「あ、そうなんや?」
姉「神経的にやられてねぇ・・。で、食欲も全然無いんっすよぉ。」
私「そういえば、全然食べてないねぇ。」
姉「でしょ?もうここのメニューがまたまずくって・・。
 (私が食べていたカレーを見て)そのカレーも甘過ぎません?」
私「(鼻の頭に汗をかきながら)そう?そうでもないけど?」
姉「マジっすかぁ?私、ダメですわ、甘過ぎて。
 私ねぇ、辛いの大好きなんですよ。」
私「そ、そうなん?」
姉「えぇ、なんでも七味ふりかけまくりますもん。
 この前、気ぃついたら一週間でサラの七味のビンが
 半分カラになってましたし。」
私「(「胃悪いの、神経やなく、そのせいやろ」と思いながら)
 ・・はは・・すごいな・・。」
姉「もう刺激物大好き!あと、寿司やったらなんぼでも食べれます。
 前、回転寿司で気ぃついたら30皿食ってましたもん。」
私「(ただただ笑いながら心の中で「どんな胃しとんねん。
 食欲無いんちゃうやん。ただの偏食やん」とツッコミ)
 そういえば、さっき抜糸とか言うてたけど、どっか縫うたん?」
姉「えぇ、ちょっと最近ケガして25針縫うてね。」
私「25針!?事故ったとか?」
姉「いや、ちょっとカミソリで。」
私「??カミソリ??」
姉「この前、ちょっと連れとケンカしてね。」
私「???はぁ・・。」
姉「で、ちょっとカミソリでやられまして。」
私「は????はぁ・・。」
姉「それもね、一箇所じゃなく何箇所も。合計で25針。」
私「あの・・どんな友だちなん・・それ・・。」
姉「いや、むっちゃ仲はいいんですよ。それ以降も何回か
 普通に会うてますし。」
私「・・(「それ、仲いいって言わんやろ。っていうか、
 普通に会うなよ・・」)」
姉「男の取り合いとかでやられたんやったらともかく、
 そんなんでもなんでもないんですよ!?ひどい思いません!?」
私「うん・・ひどいなぁ・・(カミソリ振り回すこと自体がひどい
 ってわかってるんかな・・。っていうか、男の取り合いでも
 カミソリ振り回すなよ・・)」
姉「前なんてもっとひどかったんはね、
 連れに太もも包丁で刺されて、血まみれになりましてね。」
私「・・(自分でもわかるほどのしかめっ面を浮かべながら
 「どんな生活しとんねん、こいつ・・」)」
姉「さすがにそいつとはもう二度と会いませんけどねっ!」
私「・・(「当たり前じゃ・・。というか、胃痛の原因、
 君のその生活にあるんちゃうか?」)」
姉「そやけど、この抜糸も面倒くさいですわぁ!
 こんなんバラバラに縫わんと、ひとつなぎで
 縫ってくれたらえぇのに!」
私「・・(そういう問題ちゃうやろ・・)」
姉「あぁ・・胃ぃ痛い・・」
私「・・(聞いてるこっちの胃が痛いわ・・)」

世の中、広い。
今まで色々理解しがたい人たちを見てきた。
「あ、この人とはずっと平行線をたどる人生やな」
と思うような人たち。
しかし、ここまでひどいのは初めてな気がする。
話の仕方も普通だし、使ってる言葉も普通だし、
論理展開がハチャメチャなわけではないのに、
彼女の話は、私には遠い国の狂人の日記のように思える。
平行線どころではない。ねじれの位置だ。
絶対交わることも無いし、交わりたくも無い世界の住人。
話せば話すほど、頭の中のクエスチョンマークが、
等差級数的、いや、等比級数的に増えていく女。
色んな意味でお大事に・・。

親父の一番長い一日

今日も長い一日だった。

劇団仲間のつてで、
某映像系専門学校の生徒の卒業製作の映画に出演することに。
朝からその専門学校に。
私の役の設定は、職業・演歌歌手のお父さん。
私が2時までしかいられないということで、
撮影は異常なまでの急ピッチで進む。
撮った映像をチェックする間もないほどで、
段々不安になる。
彼らもやっつけ仕事をやってるつもりは無いだろうが、
自分の演技が確認できないまま進むというのは、
とても不安だ・・。
まぁなんとなく面白いものにはなってそうな気はするのだが・・。

その後、大量の荷物を抱え、
ヘロヘロになりながら阪急電車に飛び乗り、一路京都へ。
うちの劇団の別働隊のアカペラ部門のライヴがあったので、
その手伝いに向かう。
お客さんとして来てくれた色々な人たちと久々の再会。
色々話した。
再会を喜んだり、過去のとある話を聞いてジィンときたり、
近況を聞いてホッとしたり、ビックリしたり、
逆に自分の近況を話して自分の立っている場所を再確認したり・・。
なんだか同窓会みたいで楽しかった。
私はアンコールでとある歌をやる時に、
その歌詞を書いた紙を出すためだけに舞台に出たのだが、
その時、座長が私をお客さんに紹介。
紹介されると思ってなかったので、少し慌てたが、
ブルース・ブラザースのように
スーツ姿に帽子とサングラスをしていたのを、はずして一礼。
ちょっとしたことだが、嬉しかった。

帰りも大量の荷物を持って塚本の稽古場に向かい、
荷物を置いて、家路につく。
家に着いたら1時。長い一日だった。

明日は朝8時からバイトだ。
さぁ、今から死んだように寝るぞ。

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なんだか最近、妙に涙もろい。
なんだか妙に人を愛しく感じたりする。
お金は無いが、幸せだなぁと思ったりする。
年のせいか?もうすぐ死ぬんじゃなかろうか?
いやいや、死んでたまるか、
劇団に借金返さないと・・
いやいや、この幸せをもっともっと感じるのだ。

クリスマス・プレゼント

今日は自分の劇団の作業をした後、
先日、私が客演させていただいた劇団の友だちが出演している
舞台を観に森ノ宮へ。
終演後、その同じ劇団の二人の友だちと再会。
帰り、森ノ宮から伊丹まで自転車で帰るという私に驚く二人。
手袋をしていない私を見て、更に驚く。
森ノ宮の駅まで自転車でいっしょに行ったところで、二人が
「ちょっと付き合ってください」
と私を駅の構内のお店に連れて行く。
何かと思えば、私に手袋を買ってくれるのだと言う。
断ろうとする私に、二人は
「クリスマスですから」

結局、とてもいい感じの手袋をプレゼントしてもらった。

帰り道、その手袋のおかげで、手だけでなく気持ちも
本当に暖かくなりました。

「こんなに暖かい気持ちになるプレゼントをもらったのって、
いつ以来だろう・・。」

そんなことを考えていたら、なぜだか涙が出てきました。
なぜかは自分でもよくわかりません。
でも、なんだかとても、とても嬉しかったのです。

いい年したおっさんが手袋もらって泣くなよ、と
思われるかも知れないけれども、
きっと私は、このクリスマスに
高級な指輪をもらった女の子より、
暖かいダウンジャケットをもらった男の子より、
ゲーム機を買ってもらった子どもたちより、
暖かく幸せな気持ちになれたと思います。

帰り、親におもちゃを与えてもらって
無邪気にはしゃぐ子供みたいに、
何度も、何度も、その手袋を見ていました。

大事に使わせていただきます。
本当に、ありがとう。>お二人

ローストチキン

私は今、一軒家に一人で住んでいる。
ほんの少し前まで両親がこちらの家に住んでいて、
私が祖母の家に住んでいたのだが、
両親が祖母の家に住むようになったため、
入れ替わりで私がここに移り住んだわけである。
両親と生活する息苦しさに耐えられないからだ。

祖母の家もここから1km程度しか離れていないから、
母親がなんやかんやとこちらの家に来る。
いや、正確には「来ているようだ」。
私がアルバイトに行っている間に来ているようなので、
顔を合わせることはほとんどない。
こちらに置いている荷物を取りに来たり、
逆に祖母の家に置いているものをこちらに持ってきたり
色々しているようだ。
そしてたまに私と顔を合わせては言い争いをしている。

そうして、こちらの家に来る時に、
たまに母親がおかずを冷蔵庫に入れていっている時がある。
もっぱら食事は私が自炊しているのだが、
たまにおかずが入ってると正直とても助かる。

昨日は冷蔵庫に、無造作に皿におかれ
ラップをかけられたローストチキンが置いてあった。

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テレビを見ていないので、よくは知らないのだが、
最近、ダウンタウンの松本氏作詞、槇原敬之氏作曲、
ダウンタウンの浜田氏と槇原氏が歌う「チキンライス」という
歌がヒットしたという。

ダウンタウンも槇原氏も結構好きなので、
とあるCDショップで歌詞を読んでみた。

 子供の頃たまに家族で外食
 いつも頼んでいたのはチキンライス
 豪華なもの頼めば二度とつれてきては
 もらえないような気がして


この気持ち、とてもよくわかる。

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私の家は決して裕福と言えないまでも、
決して貧乏というわけでもない、
ごくごく普通の中流の家庭であったと思う。

しかし、親の財布の紐は常に固かった。
小学生低学年の頃のお小遣いは毎月300円。
高学年で500円。
中学に入ってようやく1,000円。
映画を観る度、レコードを買う度に、
足りないお金の交渉をすべく、
母親に拝み倒すのであった。

だから、みんながテレビゲームだなんだとやっていても、
私にはそんなことをできるだけのお金が無かった。
(そんなこともあってか私は未だにあの手のゲームが嫌いだ)

お年玉や誕生日のお祝いでもらったお金などはいつも
「貯金しておいてあげるから」
と巻き上げられたまま、
未だにその存在は不明である。

誕生日やクリスマスの思い出というのも、
私にとってはあまり楽しい思い出が無い。
なぜだか記憶に残っているそういうお祝いごとというのが、
とてもしみったれた記憶ばかりなのである。
父親が警察官だったこともあり、
夜勤などで夜家にいないことが多かったせいもあるかも知れない。
誕生日にいたってはお盆の時期ということもあり、
友だちはみんなたいてい田舎に帰っており、
誕生日会みたいなことをやってもらった記憶もほとんど無い。
なぜだかその日、異常に不機嫌だった母親の目を気にしながら、
おもちゃ屋でミクロマンのおもちゃを恐る恐る選んだ思い出や、
近所の友だちとうちの薄暗い台所で、
マスカットののったショートケーキを
何も言わず二人だけで食べた思い出や、
そんな思い出ばかりである。
そんなこともあってか、
未だに私は誕生日を祝ってもらうというのがどうも苦手である。
決して嫌いなのではない。ただ苦手なのである。
どう喜んでいいのかわからないのである。

外食に行く時もなぜだか無条件では喜べなかった。
いまだにそうなのだが、
うちの両親は一度気に入った店ができると、そこにばかり行く。
子供の時の外食もいつも同じ店だった。
それでも子供にとってそれはやはり特別なことだった。
そこで「食べたいもん頼めよ」と言われるのだが、
私たち兄弟はいつもどこかしら両親のことを気にしながら
注文をしていたように思う。
いや、きっと本当に好きなものを頼んでよかったのだろう。
でも、なんだかそうしてはいけないような気がしていたのである。

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クリスマスに七面鳥なんて、私も食べたことがない。
いつもローストチキンだ。
私自身ローストチキンが好きではあった。
でも、母親は、私がそれを好きだとわかると、
特別な日には、そればかりを出してくるようになる。
でも、子供の私は
「もうこれ飽きた。いらない。」
なんて、とても言えなかった。
これが母親の私に対する特別な料理のつもりなのなら、
その気持ちを裏切っちゃいけない、とどこかで思っていた。
内心飽きていても、さもおいしそうに
演技をしながら食べている私がいた。
母親をがっかりさせまいとする自分がいた。

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そんな親の気持ちを平気で裏切れるようになってしまってから、
十数年。
親の期待に応えてきてた人生の進路を
(こんな進路を歩みなさいと、強制されたことなど一度も無いが)、
「俺には俺の人生がある!」と、両親の反対を押し切って、
6年半勤めた会社を辞め、芝居の道に飛び込んで早3年。
冷蔵庫に何気なく入っていたローストチキンを見て、
思わず胸が熱くなり、
親孝行についてちょっとだけ考えた34歳のクリスマス直前の夜。

出会いのライヴ、最高のライヴ

12月21日、うちの劇団の座長が日ごろ仲良くしている、
ソプラノ歌手の深川和美さんや
多彩な音楽キャリアを持つまや・バルーさんが出演するライヴに
うちの座長も出演することになったので、
お手伝いをするべく、HEP HALLに行ってきた。

自分が手伝うところ以外はひたすら舞台袖で見ていたのだが、
いやはや、ほんっとに!素晴らしいライヴでした。最高です!
深川さんの歌声はいつ聴いても
こちらの体をすーっと通り抜け
浄化してくれるような気持ちよさがあるし、
まやさんのシャンソン(歌)も本当に色っぽかったし、
私が尊敬する谷川俊太郎さんのご子息で、
ミュージシャンの谷川賢作さん
(実は私は賢作さんのファンでもあって、
賢作さんがかつて組んでいた'DiVa'というバンドのCDも持っており、
サインをもらったことがあります)
の軽妙なピアノも惚れ惚れしたし、
ミュゼット・ジャズ・バンドの皆さんの演奏も、
相変わらず多彩で、個性的で、とても美しかった。
また今回、初めて見た続木力さんのハーモニカは、
とてもノスタルジックで暖かい世界を作り出したかと思いきや、
ブルースっぽい、派手なインプロヴィゼーションも展開!
いやぁ、惚れました!一気にファンになりました。
見かけは普通のおじさん、という感じなのですよ(失礼)。
でも・・ほんと、いいっ!かっこいいですっ、続木さんっ!!
あと、前重英美さんのジャズ・ヴォーカルも
むちゃくちゃかっこよかった!

そんな中、個人的にいくつかの驚きが。
なんでも続木さんは、うちの座長や私が通っていた大学の傍にある
老舗のカフェ「進々堂」のオーナーの息子さんであるらしい。
(私はああいうのこそが本当のカフェだと思う。
現在、お店は続木さんのお兄さんにあたる方が
ついでおられるらしい)
世の中、狭い。
座長や私も、それぞれの学生時代、
もしかしたら続木さんと会っていたのかも知れない。

そして、ライヴのアンコールの時、
深川さんとまやさんが客席を見て、
「そこにいらっしゃるのは、私たちのアルバムに参加してくださった
鶴来さんじゃないですか?」
そうやってステージ上に引っ張り出されたのは、
ミュージシャンの鶴来正基さん。
遊佐未森さんのファンだった私は、
あなたの名前を何度となく色々なところで見てましたよ!
そうして、鶴来さんは、
知らない曲を初見の楽譜だけを頼りに、
見事にインプロヴィゼーションまで展開したのでした。
かっこ良過ぎるっ!

更に楽屋で。
ミュゼット・ジャズ・バンドの津田兼六さんが
うちの座長にある人を紹介している。
その方が楽屋を去った後、津田さんが
「あの人は昔、『ウォークマンのしゅう×△☆』という本で・・」
私の耳がピクッ!と反応する。
私「え?『ウォークマンの』何ですか?」
津田さん「『ウォークマンの修辞学』って本を出した人でね、」
私「え?あの人、細川周平さんですかっ!?」
津田さん「あ、知ってるの?あの人、細川周平さんなんです。」
たまげた。
あなたの本、2冊も持ってますし、
どちらもとても好きな本ですってば!
一冊は「トランス・イタリア・エクスプレス」(筑摩書房)
そしてもう一冊は、
私の好きな坂本龍一氏との共著「未来派2009」(本本堂)。
いずれも廃刊になっているはず。
前者は古本屋で偶然発見し、小躍りし、
後者はYahoo!オークションで落札したほどのもの。
元々はかつてあったWAVEという雑誌の
「ノヴェチェント」特集
(要は大戦前の芸術運動「未来派」の特集)
で名前を知った人だ。
まさか、そんな方を直接見ることになろうとは・・。

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ライヴの魅力は、その時、その場所で、
人と、その一瞬と出会えることに尽きると思う。
その意味で、本当に最高のライヴだった。

company

前に書いていた風邪であるが、
あの日の夜、稽古に参加して、体を思い切り動かして汗をかいたら、
翌朝、嘘のように治っていた。
さすがに稽古後は、帰るだけでもしんどくて、
家に着くなり、シャワーだけサッと浴びて、
すぐに死んだように眠ったのであるが・・。
やはり、病は気から、である。

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昨日はうちの劇団のワークショップの第一弾打上げだった。
「第一弾」というのは、
このワークショップ、木曜と日曜にやっているのだが、
両方に参加している人間が私以外ほとんどいないため、
それぞれの曜日で忘年会をやることになったのである。
その日曜版。

ワークショップ参加者の一人が、下関近辺出身ということで、
実家からふぐを取り寄せてもらい、
豪勢にてっちり鍋での打上げとなった。
ワンダフルである。
美味しかった。
途中、用事で電話が入ったり、座長の妨害が入ったりで、
あまりふぐを食すことはできなかったのだが、
私としては大満足であった。
(でも、実は、いっしょに送ってもらっていた
ハモの方がおいしいと思ったのは内緒だ)

ふぐを食べられたことはもちろんだが、
何よりあのメンバーで鍋をつつけたことが一番嬉しい。
本当に私から見ればかわいいやつらなのである。
まるで年寄りのようであるが
(ちなみに座長を除くと私が最年長である。
が、その中にあってもなぜかいじられ役になってる私って・・)、
私にはこのワークショップを座長と二人で立ち上げてきた、
という思いがある
(座長がどう思っているかはわからないが・・)。
そのワークショップに、
何か感じるところがあって参加してくれる人たちが
私にはとてもいとおしく感じるし、
そして、そこで少しずつでも開放されていくみんなの姿を見るのは
私にとってもとても嬉しいことなのだ。
今、集まっているワークショップのメンバーの中には、
舞台に立ったことも無い人も何人かいるので、
芝居の基本的なことがわかってなかったりもするし、
まだ、自分の殻に頑なに閉じこもっているような人もいたりする。
しかし、みんな、ふっとした時にとてもいい味を醸し出すのである。
こんな書き方をしているが、
何も偉そうに高みからみんなのことを見ているばかりではない。
彼ら・彼女らの潜在的に持っているものには、
時には爆笑させられ、
また、幾度となくドキッとさせられ、
いつも勉強させてもらっている。
しかし、まだまだ、だ。
みんな、まだまだこんなもんじゃないはず!
私だってまだまだこれからだ。
これからまだまだ伸びていけるはずだ。そう感じられる。
来年3月には念願のアトリエ公演を予定している。
年が明ければ、それに向けて稽古も熱を帯びてくることになるだろう。
さぁ、来年もみんなで突っ走るぞっ!

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よく海外の劇団などで
「○○カンパニー」という名称を見かける。
'company'には「一座、劇団」という意味もあるが、
他に「仲間」という意味もある。
彼ら・彼女らはまさしく私にとっての大事な'company'なのである。

師走

あっと言う間に師走である。
師も走れば、私も走るのである。
で、気づいたら用事だらけである。
一つのことで忙しいのならいくらでもあるが、
こんなに色んな用事が入ってくることも珍しい。
結果、家に帰ると、
「フロ、飯、寝る」
と、まるで亭主関白のような生活である。
ただ違うのは、それをひとりぼっちの部屋で
誰にともなく言わないといけないということだ。

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再び、風邪を引いた。
私の周りを見ると、「喉から鼻」パターンと
「頭痛&吐き気」パターンがあるっぽい。
私は前者だ。
後者にかからぬよう祈るばかりだ。
ダウンしている暇はないのだ。

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ということで、更新がままならぬが、
書きたいことはいっぱいある。
またぼちぼち書いていくことにしよう。
明日も6時起きなので、そろそろ寝る。

私は今、
セリフを使わず、身体表現で多層的なドラマを紡ぎだす、
という珍しい表現手段をとっている劇団に所属している。

身体表現や武道をやっていると
(私自身、学生時代にフルコンタクトの空手を習っていたが)
よく「軸」という言葉を耳にする。
「軸をぶらすな」とか「軸を中心に・・」とか云々・・。
今まで、劇団の稽古の中でも、「軸」ということが
何度も、何度も強調されてきた。
私も稽古の中でいつも「軸が・・、軸が・・、」と
気づく度に意識してきたのだが、
今まで自分が考えてきた「軸」がどうも違うのではないかと、
昨日ふっと思い至った。
私が今まで作らなければと思っていたのは、
硬い、鉄のような軸だった。
しかし、それでは、身体表現全般への応用が利かないのである。
軸とはあくまで「そこを中心に体を動かす」という、
身体の運動の中心(起点、というとニュアンスが違う気もする)
に過ぎないのではないか。
だから時にはピンと張る必要もあるし、
(と言っても硬いもの、重いものである必要はない。
ただ単に「曲がらないもの」であればよい)
時には前後左右に柔軟にしなる必要もある。
その運動の中心部分の自在さが、
身体表現のあり方を根本から左右するし、
もっと言うと、
きっと身体表現者としてのヴァイタリティー(生命力)さえも、
その軸の自在さから生み出されるのではないか。
もちろん軸だけではなく、呼吸の意識も不可欠だが。

今まで自分の中で別々の引き出しに入っていたものが、
ようやく一つに繋がっていく気がする。

こんなことに気づくまでに3年・・。
奥はまだまだ深い。これからまだまだ面白くなりそうである。

ジョンの魂

24年前の今日(日本時間では9日)、
ジョン・レノンが自宅アパートのダコタ・ハウスの前で
マーク・チャップマンに銃撃され死亡した。
享年40歳(若い・・)。

その頃、私は小学校4年生で、
ジョン・レノンがビートルズというバンドにいたこと以外は、
何も知らなかったのだが、
テレビでもラジオでも多くの人がショックを受けていたことだけは、
はっきりと覚えている。

ジョン・レノンの最も有名な曲と言えば
おそらく'Imagine'であろう。
しかし、私は、アルバム'Imagine'で、
オープニングで高らかに愛と平和を歌っていながら、
B面でかつての朋友ポール・マッカートニーのことを
痛烈にバカにしている('How do you sleep')ジョンよりも、
ハウス・ハズバンド生活を経た後に、
'(just like)Starting over'で、
恐らくはポールへの和解を求めつつ(これは私の解釈)、
愛情の不変、新たに生まれ変わる希望を歌い、
'Woman'で男の中の幼児性を認めつつ、
愛する女性への感謝を歌い、
'Beautiful Boy'で、か弱き存在である息子に対して、
見守るようにしながら、人生を優しく説く・・
死の直前に出したアルバム'Double Fantasy'での
そんなジョンの方が私は百倍も好きである。
'Imagine'の思想より、
'Double Fantasy'におけるジョンの思想の方が、
'Love & Peace'の本質じゃないかと感じるのは、
私だけだろうか。

We are バカサバイバーs

今、うちの劇団のワークショップに参加している
鈴木カツヤくんの製作Tシャツ写真展と、その彼女の製本展示を
梅田・太融寺の「ぎゃらりーぴーぷる」まで見に行った。

 ぎゃらりーぴーぷる

白地のTシャツの胸のところに
一枚一枚違う言葉をプリントしたものを、色んな人に着てもらい、
それぞれの言葉に見合ったロケーション、設定で、
写真に収めているのである。
私も、うちの座長も、写っている。

わはは。アホや、こやつ。
笑った。
こういうの結構好きである。

そして彼女の製本もなかなかステキだった。
そっか。製本ってそうやるのだね。
それを教えてるところがあるなんて知らなかったよ。

「世の中いろんなものを教えるところがあるんやね」

と感心していると、二人が、

「いや、パントマイム教えてるとこも大して変わりませんよ。」

確かに・・。

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ちなみに、このギャラリー、
梅田のエッチ街(風俗&ラブホテル街)のド真ん中にある。
彼らしい場所選びだとは思うのだが、
まずあんなところにギャラリーがあることに驚きである。
ちなみに私は真昼間に見に行ったのだが、
帰り、まともな道に出るまでに3人の客引きに声をかけられた・・。

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この鈴木くんには、
「色んなものをとにかく楽しむ」姿勢において、
本当に見習うことが多い。
しんどいことも一つの経験として楽しむ。人生の極意だね。
今後も勉強させてもらいますぜ、師匠。

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私の友人が、悩みに悩んだ末、今の仕事を辞め、
苦しんでいる人たちを助けるため、
新たな道に進む旨、メールがあった。
彼に「何考えてんねん!?」と言う人もいるだろう。
世間的に見れば彼はおバカさんということになるのかも知れない。
でも、とてもステキなおバカさんじゃないか。
私はこういうやつ、大好きだ。
走り出した気持ちは止められないんだって。なぁ?
気持ちはよぉくわかるで。
不安があっても、希望があればなんとかなるさ。
バカと言われようが知ったことか。
端から見て波乱万丈の人生だろうが、
波乱万丈、望むところだ。
自分の人生を生きるのは自分なんだ。
希望を持って生き抜いて、
死ぬ間際に、

「あぁ、俺の人生おもろかった!」

それで十分じゃないか。

お互い突っ走ろうぜっ。

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彼に言ってるようで、
いつの間にか自分にも言い聞かせてるな・・。
まぁいいや。

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彼のメールには写真が添付されていた。
何かと思えば、以前にいっしょに飲んだ時に、
彼が送ると約束していた、
自然の中で人に撮らせたという彼の全裸写真・・。
(もちろん後ろ向き)
アホや・・。
(でも、ちょっとだけうらやましかったのは内緒だ・・。)