ミトココロノココロミ -17ページ目

1995年1月17日5時46分

1995年1月17日
 午前3時
 この日から大学の後期試験の期間外試験が始まることになっていた。
 卒業がかかっていた私は、
 (就職も決まっていたというのに卒業が危なかったのだ・・)
 その日、有機化学の勉強をしていた。
 1限目には授業があるので、早く家を出なければならない。
 家が伊丹で学校が京都だから、
 1限目に出ようと思えば、朝の6時には起きなければならない。
 私は3時に勉強を切り上げて(つまりは試験を捨てて)
 寝ることにした。
 実家から大学の1限目に出る場合は、
 台所兼居間になっている部屋で寝る習慣があった。
 私は当時恐ろしく寝坊だったのだが、台所で寝ていると
 母親が起き出してきて、台所でガタガタと作業をしている音で
 自然と目が覚めるからだった。
 しかし、その日私は、悩んだ挙句自分の部屋で寝ることにした。

 午前5時46分
 「ん?」と思って目が覚めた。
 (後で思うと地震の直前にあったという爆音で目が覚めたのだろう)
 その直後、すさまじい揺れが襲ってきた。
 私の寝ている体を縦の方向に強烈に揺さぶる。
 「地震だ!」とすぐに分かったものの体が動かない。
 いや、体を動かせないほどの揺れである。
 日が昇る前であたりは真っ暗闇だ。
 ゴゴゴゴゴ!というすさまじい音の中、
 とにかくできることといえば、
 布団をかぶり頭を腕で覆い、頭を守ることぐらいだ。
 何秒ほど揺れていただろう、ようやく揺れが収まり、
 近くの部屋にいる母親に声をかけ、無事を確認。
 (父親は当時警察官で夜勤に出ていた)
 二人で台所兼居間に出てきたものの、あたりが暗くてよく見えない。
 近くを懐中電灯で照らしてみると、
 私がその台所兼居間で寝るときに、頭を置いていたあたりに、
 電子レンジとテレビが落ちていた。
 テレビの前にかぶせていたガラスのフィルターは鋭利な破片と化し、
 そのあたりに散らばっていた。
 ガラスは懐中電灯の灯りに照らされてキラリと光った。
 「ここで寝てたら死んでたかもな・・」
 そう思った瞬間、頭の血の気が引き、その場に座り込んでしまった。

これが10年前の今日、あの地震の朝に起きたことである。

---

あの時、感じたことは、
言葉にすると、当たり前過ぎるくらい当たり前のことなのだが、
「人間いつ死ぬかわからない」
ということだ。
それは言い換えると、
あの地震で死んだAさんという人と私を考えた際、
私が生きてAさんが死んだことには何の必然性も無いということだ。
つまり、死んだのが私で、
10年後にこんな日記を書いているのがAさんであることだって
十分にあり得たわけだ。
(もちろん二人とも生きた、あるいは死んだ可能性だってある)
それは「運命のいたずら」とか「偶然も起きてしまえば全て必然」
などという言葉で片付けられる類のものではない。
(少なくとも死者の側からすれば、
「そんな言葉で片付けられてたまるか!」という気分であろう)
「必然性など無い」のである。
死について、唯一ある必然性というのは、
「誰もがいつかは必ず死ぬ」
という事以外無い。
(その点においてのみ人類はまったくの平等だ)
しかし、その死がいつ訪れるかについての必然性など無いのである。
(もちろん病死や自殺などはその限りではない)

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私は今生きてこんな日記を書いているが、
あなたが読んでくれている今、もしかしたら死んでる可能性だってあるわけだ。
今、私はここにいる。
しかし、あなたが読んでいる今はここにいないかも知れない。
あったものが、ポッカリ無くなって(亡くなって)いるかも知れないのだ。
死はそういう風に突然訪れ得る。

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そして、死はすべからく「悲劇」である。
前にふと考えたことなのだが、
私たちの命は、私たちの体の内側だけに収まっているものではない。
それは、私たちの体の器を飛び出して、
周りにいる人たちの心や体の中のある部分を占めているのだ。
20人の集団がいたら、その20人の命が、
20人全員の中にお互い生きているのだ。
そうやってみんな繋がりあって生きている。
(それはお互いどんな感情を抱きあっているにせよ、だ)
私たち自身の死は、周りにいる人たちの心や体の中のある部分を占めた
私たちの分身たちの死でもある。
だから、人が死ぬと、
みんなの心の中にぽっかり大きな穴がいてしまうのである。
死は無に帰することではない。
人の心から何かを奪うことでもある。

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私でもあり得た何千人という死者のAさんたちに合掌。

Heartbeat

先日書きかけた話。

先日、うちの劇団のアカペラ部門のライヴの打上げで、
土居秀行さんというパーカッショニストの方がいらしたことは
ここでも書いた。
その方とお話していた中で、
「僕、パーカッションとかすごい興味があって、
何かやってみたいんですけどね」
などと話したら、土居さんが、

「パーカッションなんて簡単ですよ。
(ビールのピッチャーをピタピタ叩きながら)これだってパーカッション。
(机をトコトコと叩きながら)これもパーカッション。
パーカッション始めるんなんて簡単ですよ。
さぁ!始めてみましょう!」

これが私には「目からウロコ」の一言だったのだ。
今まで何かを始めるにあたってすぐにどこかで
「誰に習えばいいんだろ?どこで習うのがいいんだろ?」
などと考えている自分がいた。
しかし、興味があったらどんなところからでも始めればいいのである。
始められるところから始めればいいのだ。
当たり前のことなのだが、
そんなことにさえ気付いていなかった自分がバカみたいである。

だから、今年は何かパーカッションみたいなものを
始めてみるのである。

この前も稽古場でリズムをとる稽古がたまたまあったのだが、
その時に自分なりに体叩いてリズムとったり、
床や壁を叩いてリズムやってみたのが、すごく楽しかった。

やはり、こういうの大好きである。

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きっと環境が整わないと何もできない私のようなやつは、
環境が整っても何もできないんじゃないだろうか?
本当にやる気があるのなら、きっと環境なんて自分で作るだろうし、
自分でやれることから何か始めていくのである。
そして、そこから道が開けていく、
いや、そうやって自力で道を切り開いていくのだろう。
よく「やらないのはやる気が無いからだ」などと言うが、
本当にそうなのかも知れない。
えぇい!脱却するのじゃ!ウォーッ!

くまのプーさん

眠いんじゃあーっ。こんちくしょ、このやろめっ。

ということで、今日の話題は「くまのプーさん」。
プーさんに対する疑問。

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「くまのプーさん」、英語では'Winnie the Pooh'。
ちょっと待て。
「切り裂きジャック」は'Jack the Ripper'。
「肉屋のアブドーラ」は'Abdullah the Butcher'。
ってことは、プーさんの名前は'Pooh'ではなくて、
'Winnie'じゃないのか?

眠いというのに、気になって調べようとしたら、
某サイトでこんな文章が・・。

 プーさんの名前の由来についてはいろんな説があります。

 作者のミルンが原作の「クマのプーさん」の中で、
 こう言っています。

 「ハエがとんできて、鼻の先にとまるとプーと口で
 吹きとばさなければならなかったから、
 そこで、プーという名前がついたのだと、
 わたしは思うけれどどうかな。」


いや・・「どうかな」って言われても・・。

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プーさんのかっこだが、
あれって冷静に見るとすごく変だ。
着衣は、胸までしかない赤のTシャツだけである。
仮に私があのかっこで街を歩いたら真性の変態だ。
自分で想像してみた・・。
がはは!一度やってみたい!

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登録制の派遣のバイトではあまりにも収入が不安定なので、
やはり固定のバイトを入れようと現在バイト探し中。
塾の講師は昔からやりたいと思っており、
中学時代の塾の恩師が新しい塾を作ったということで、
連絡をとってみた。
私自身のことも、私が算数・数学が得意だったことも
よく憶えていてくれて、
「算数をちゃんと教えられるアルバイトがほとんどおらんから、
ンダカならいけるかもな」と言われた。
しばらく教壇に立っていないのが不安だったのだが、
「ちょっとやったらすぐ勘は戻るって」と、先生。
近日中に面接&試験に行くことになった。よっしゃっ!

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私の空手の師匠で、
私がその組手スタイルをこよなく愛していた方が、
現在、支部長の座を降り、古武術研究家になっているという。
嗚呼・・また習いに行きたい~っ!

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寝るっちゅうたら、寝るんじゃっ。こんちくしょうめっ。

断片的日常

眠い。胃の調子がおかしい。
明日も5時起きだ。ひえぇ。
薄れゆく意識の中であれやこれや書き連ねる。
明日まともな意識で読み返して、
自分で理解不能なら消す。

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最近、どうも胃が弱い。
塩分を多く摂ると気持ち悪くなる。
スポーツドリンクを飲むと気持ち悪くなる。
するってぇと大量の塩分に拒否反応?
成人病を自ら防いでいる?
あるいは既に成人病?いやん。

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私がARTIST志向かと言われると何か違う気がする。
どちらかというとPLAYER志向だ。多分。
ARTISTの一つの資質が「執念」であるとすれば、
私の意識は分散され過ぎている。
トリックスター、異人、ノマド、野ウサギ・・。
むしろ、そんなあり方に憧れている気がする。
それはそれで悪くない。

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呼吸は、吸う方を強く意識すると興奮する。
吐く方を強く意識するとリラックスする。

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体の問題がなぜ私にとってこんなに引っかかるのか。
きっと誰にも幸せな体のあり方、使い方、
体のリズム(一日、一週間、一月、一年といったサイクルや行事etc)
といったものがあるとどこかで信じており、
また今が、それがないがしろにされている時代だと感じるからだ。
多分。

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自分は感性的な人間か理性的な人間か。
恐らく潜在的な部分で何かを感性で嗅ぎ取り、
そこに理性でなんとか理由付けをしようとするタイプではないか、と。
友人には、
「石橋を叩いて割って、仕方がないからやけっぱちで飛ぶ」タイプ
と言われたが、ちょっと違う。多分。

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大事なのは、解けない問題を諦めずに、
それを頭の片隅に抱えながら、その問題といっしょに眠ること。
忍耐力。執念。そして、余裕。

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そうだよ。
自分の中で「リズム」というものが
こんなに気持ちを惹かれるものだったんだよ。
なぜ今まで気付かなかった?
いや、気付いてたはずなのに、ちゃんと気付いてなかった。
一貫してそういうものに興味を持ち続けてきたじゃないか。
なぜ気付かなかったんだ・・。
今年は何か、リズムに対して「ごっこ」のような軽いノリから
接していきたい。何かを、とにかく始めるのだ。

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大事なものは常に足元にある。
それに「ちゃんと」気付くこと。

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何かを始めるのに、学校に通う必要は無い。
遊びでいい。「ごっこ」から始めればいいのだ。
時代の寵児となったようなコピーライターに、
コピーの学校の出身者などいない。
そんなものだ。
始めることなんて簡単だ。
始められるところから始めればいいのだ。

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私の頭の中によく浮かぶ疑問文。
"So what?"
「だから何やねん?」
世の中の虚飾をひっぺがすおまじない。
「はだかの王様」に「わぁ、王様はハダカだぁ!」と
爆弾を投げつける無邪気な反骨精神。
「本物」や「本質」はこの問いの果てに、
あるいはこの問いを超越したところにある。

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さぁ、寝る。死んだように寝る。

スマトラ沖大地震と大津波の被害に対するチャリティー

以下の記事に対するコメントで、しんぴーさんという方が、
スマトラ沖の大地震と大津波による甚大な被害に対して、
チャリティーコンサートの企画を立てておられます。

その記事が埋もれてしまわぬよう、こちらに転記しようと思います。
チャリティーコンサートへは、
何もミュージシャンとしての参加だけでなく、
スタッフとしての参加、観客としての参加、など、
参加の形態も色々とあると思います。
私自身どれだけ参加できるかわかりませんが、
関心を持って注目していきたいと思います。

しんぴーさん>
 もし詳細決まったら、いつでも書き込みにきてくださいね!


---以下、転記---


2004年12月26日、スマトラ沖地震によって発生した津波が多くの尊い命を奪い、また、今なお命の危険にさらされている人々、子供たちが何百万人もいます。
「音楽家(音楽関係者)として、津波で困っている世界の人々に、子供たちに、何かできることはないのか?」という強い思いから、チャリティー(ジャズ)コンサートを開催することを発起人として考えつきました。
まだ具体的なことは何も決まっていません。気持ちだけが先行しているだけです。

つきましては、本企画が実現の暁には多くの音楽家にもご協力いただけないか(無償で出演とか)、と思いまして書き込みさせていただきました。
(もちろん、前重さんには一番に打診しています!)

詳しいことは専用のホームページにて発信する予定です。
どうかよろしくお願いします。
http://www.geocities.jp/charityjazzconcert/

P.S.
この書き込みを見られた方で、ご協力していただける方は連絡願います。(上記HPのBBSで結構です)

チョー大物

今日は朝から、うちの劇団の別働隊・アカペラ部門のライヴの手伝い。
メンバーの一人が朝から病気で倒れたり、
制作をやってくださってる人がその関係で到着が本番直前になったり、
私が急遽音出しをすることになったり、
会場に到着するなり大パニック。
いかん、いかん、こんな時に落ち着いて、
かつテキパキと対処できるようにならねば。

本番直前、その倒れた人と、制作担当の方が一緒に到着。
その直後に受付開始。
受付付近で立っていると、
とても大きな人が入ってきた。
で、顔を見てビックリ!!
なんと!世界的な指揮者の佐渡裕さんではないか!!
いや、以前からこのアカペラ部門の活動を絶賛されてるとは
噂に聞いていたが、まさか来られるとは・・。

ライヴはなんとか無事終了。
(マチネが大盛況だったのに対し、
ソワレの方に客が入らないのではないかと、ヒヤヒヤしたが・・)
久々に会えた人もいてよかった。
1月から待ってますからねぇ!>某T嬢

あと音響さんの知り合いで、
お客さんとして来て下さってたパーカッショニストの
土居秀行さんという方とちょっとだけ話す。
パーカッシヴなものが好きな私としては、
話を聞いてるだけでも是非その音楽を聴いてみたくなった。
今後のライヴ、要チェックだっ!

 タイコマン・土居秀行さんのホームページ

そして、皆さんより早く打上げの場を後にし、
また荷物を稽古場に置き、帰宅。
今日も長い一日だった。

---

家に着くと、某「はいてっくくねくね」という劇団の
座長さんから年賀状が来ていた。大笑いした。
遅くなってますが、ちゃんとお返事しますねぇ。>ボス様

私もお世話になった素敵な劇団
「はいてっくくねくね」のホームページはこちら。

 演劇集団「はいてっくくねくね」ホームページ

4月には新作公演の予定。こちらも要チェック!

独り言

私にとって今年のお正月はなんだか静かだ。
こんな静かなお正月は久しぶりな気がする。

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先に自転車で独り言を言うと書いたが、
私は自転車に乗りながら、本当によく独り言を言っている。
夜中や、昼間でも誰もいないところだと、
大声で歌を歌いもする。
しかし、さすがに人がいるところ(電車など)ではやらない。

舞台の本番が近くなるとよくネタを繰るが、
これはほとんど無意識のうちにやってしまうので、
場所などお構いなしだ。
私のいる劇団は無言の劇なので、
そのシーンのイメージを作っていると、自然と顔の表情が変わる。
たまに公衆の場で自分がすごい表情になってることに気付き、
ふっと我に返って周りを見渡す。
がしかし、気がついたらまたネタを繰ってしまう。
頼むから知り合いが見てませんように、と祈るが、
実は一度、中学時代の同級生に言われたことがある。

「あんた、前○○の交差点ですごい顔して自転車こいでたやろ?」

どんな顔していたのかとても気になる。
そして、他の時にも誰かにもっとすごい顔してるのを
見られていたのかもしれないと思うと怖くなるのである。
そんな時は、何も言わずに通り過ぎたりせず
声でもかけて欲しいと思うのだけれど、
きっと声かけられないような顔してるんだろうなぁ。

尻を締めろ

私は、書いてモノを考えるタイプの人間ではない。
話して考えるタイプだ。
人と会って話したり、
自転車で独り言をブツブツ言いながら考えてる時が、
一番色々なことが思い浮かぶ。
そして、家に着いたらきれいに忘れている。
なんとかその時の考えを記録したいものだ。

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機能的な道具は美しい。
そして、スポーツでも仕事でも、
合理的に、無駄無く動く肉体は美しい。
職人の技、なんていうのもそうだ。

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久々に空手時代の道着に袖を通して軽くシャドートレーニング。
お尻を締めてみたところ、軸ができやすくなった。
今までシャドートレーニングをしてもバタバタしていたのは、
きっとお尻が締まっていなかったせいだ。
きっと他の運動でもバタバタした動きをしている人は、
お尻が締まっていないのだろう。

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身体表現の際に、自分を吊るすイメージを持つ。
単に上に引っ張るイメージだけではダメだ。
本当に自分を、10mぐらいの高みに吊るしてみる。
それがイメージできれば、
自ずとお尻も締まるし、アゴも引けるし、力も抜けるし、
結果、軸もできる。

NEW YEAR'S DAY

稽古場から戻って一眠りした後、部屋の片付け開始。
余計なことばかりして、結局遅々として進まず、
挙句、本棚にCDだ、本だ、を積み上げてお茶を濁す。

6時に友人と合流。
うちで鍋をすることに一昨日決まったのだ。
近くのスーパーで食材を買い出し。豚汁もどきを作ることになった。
酒代も含めて、一人1,000円ちょっと也。
飲める人間がいないので、とてもリーズナブル。

やはり冬は鍋だ。
グツグツと音を立てる鍋を囲みながら、本当においしくいただいた。
一年最後の食事が鍋なんていいじゃないですか。

そして、ゆっくりした後、一路京都へ。
除夜の鐘をつけるお寺に行こう!ということになり、
ネットであらかじめ検索していた京都の壬生(みぶ)寺へ。
「壬生狂言」で有名なあの壬生である。
壬生は私が学生時代に通っていた空手の道場があり、
行くのはその時以来ぶりである。

京都はその日の朝、雪が降っていたということで、
かなりの冷え込みが予想されるため、万全の重装備で出発。
例の手袋も出動である。

阪急電車の大宮駅を降りた途端、外は雪!
今年の初雪にして最後の雪である。
駅近くの店で暖かい飲み物を買い、
寒さに震えながら、そして雪に見とれながら、お寺へ。
新撰組で注目されたこともあるのか、人が結構いたが、
さすがに住宅街の中にポツンとあるせいもあって、
八坂神社や生田神社などの混雑にくらべれば、全然平気である。

ちょっと並んで、除夜の鐘もつくことができた。
(大体8人ぐらいでいっしょに紐を持ってつく形だった)
おみくじも大吉。
そうだろうとも!そうだろうとも!今年の私はいきますとも!

雪が一層激しく降る中、
しばらく除夜の鐘を聞いてお寺でゆっくりした後、河原町に向かう。
寒さのせいかお腹が減ったこともあり、なぜかケンタッキーへ・・。
しまった、今年の一食目がこんなジャンキーなものに・・。
少しだけ後悔。しかし、今年の私はめげない。

その後、朝までゆっくり過ごせるところを求めて、
木屋町三条のスターバックスへ。
スターバックスってあまり好きではないのだが、
このお店の地下は、外に鴨川の流れを見ることもでき、
なかなかいい雰囲気であった。
そこで朝までなんやかやと話す。
そして、ちょっと眠くなり寝てしまう。
目が覚めたら7時半。店を出た。

元旦の京都は肌を刺すような寒さだったが、
空も徐々に晴れ間を見せ、今年最初の太陽が顔を覗かせつつあった。
鴨川沿いを歩きながら、河原町の駅へと向かう。
京都っていい街だよなぁ・・。将来はやはり京都に住みたいな、
などとと思っている間に駅に。

そして、朝陽を浴びる電車の中で、
今年の決意を新たにしながら、家路へ。

なかなか清々しい年明けであった。

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紛争地域にも、
飢餓地域にも、
独裁者国家にも、
平和な京都の街並みにも、
新年の朝は訪れる。

I wish you a HAPPY NEW YEAR!

AN DIE FREUDE

「歓喜に寄す」

ベートーヴェン交響曲第9番「合唱」の詩である。

耳が聞こえなくなっていったベートーヴェンが、
その絶望的な状況にうちひしがれることなく、
むしろそれをはねつけんがばかりの勢いで、
作ったのが、かの交響曲第9番。
そこには当時の交響曲としては型破りな、
合唱がのることとなった。
詩は同時代の詩人・シラーの「歓喜に寄す」。

その冒頭にベートーヴェンは、
それまでの楽章の鬱々としたメロディーを叩き壊すように、
次のような言葉を加えた。

「ああ友よ、そんな調べではだめなのだ!
 声を合わせてもっと楽しくうたおうではないか、
 もっとよろこびにあふれる調べで!」


なんという「生きる力」に溢れた男なんだ。

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昨日は稽古場の大掃除&最終稽古&忘年会。
大掃除は、10時に稽古場にそれぞれの曜日の利用者が集合。
10人ほどが集まったこともあり、
掃除は昼過ぎには終了。
これを7人で徹底的にやった時はほとんど一日仕事だったよな、
などと昔のことを思い出していた。
色んな意味でしんどい時期だったなぁ。

その後、忘年会の準備のため食材の買い出し。
今日は焼肉パーティー。
肉は座長がすでに調達済みだったので、
野菜類だけを近くのスーパーで購入。

簡単に食材の仕込を済ませ、最終稽古に。
珍しく座長に誉められる。
「年末やしな、たまには誉めとかんとな。」
それでも嬉しいことに変わりはない。

今日からまたメンバーが増える。
いい笑顔をしていながら、目の奥に負けん気の強さを感じる。
そして、なかなか飲み込みも早い。
最近、こういうなんらかの武器を感じさせる子が増えてきた。
怖くもあるが、たまらなく嬉しくもある。
木曜のメンバーも着実に増えている。
いい流れだ。

そして、稽古終了後、忘年会に。
6人で酒を飲み、バカなことを言いながら焼肉をつつく。
久々の焼肉。おいしかったぁっ!
昔は、座長が話すのをみんなが聞いているばかりだったが、
最近はほんとにみんなでワイワイ話ができている。
座長も抑えてるのかと思いきや、それはそれで楽しんでいる。
いい空気だ。

そこで座長が私のことについて話す。
入団時の私に対する期待、それ以降のていたらく、
そして今の私。
この人には全部見透かされている。
自分の欠点も、これまでの葛藤も。
思わず胸が熱くなる。

終電の時間があるので、みんなは11時半頃に稽古場を出た。
残ったのは私と座長の二人。
飲み会の席で、こういう形で座長と二人になることなんて無かったなぁ。
昔の私ならただただ小さくなっていただけだったろうが、
今日はなんだかこうなることが自然な成り行きに思える。
酒を飲みながら、私のこと、今後のワークショップのことについて話す。
明らかにいい流れは生まれている。
しかし、まだまだ濃い関係にならなきゃいけない。
同感です、座長。
私だって、みんなだって、ここで留まってる場合じゃないんです。

そして、座長も帰る。
帰り際、
私「今年一年ありがとうございましたっ!来年もよろしくお願いします!」
座長「(片手を上げ笑顔で)おうっ。よろしくっ。」
来年もよろしくお願いします!

私は後片付けのため、稽古場に居残り、
そのまま稽古場に泊まる。

片付けも終わった後、一人で色々思いにふける。
そして、今年の年頭に立てた目標が、
概ね達成できていたことに気づく。
アトリエ公演は、年頭に思っていたものとは形も違うし、
来年に持ち越しではあるが、
想像以上の形になりそうな予感がする。

しばし休んだ後、6時頃に家路につく。
最後に戸締り確認のついでに稽古場のフロアを見渡し、
改めて今年一年を振り返る。
色々あったが、結果、いい感じで来れたじゃないか。
自ら失ったものは未だに多いが、
来年はそれを少しでも、この稽古場にいながらにして取り戻す。
それが少しでもできそうな気がする。
鬱々としていた空気を、
自らブチ破ることができそうな気がする。

「ああ友よ、そんな調べではだめなのだ!
 声を合わせてもっと楽しくうたおうではないか、
 もっとよろこびにあふれる調べで!」


来年はみんなでもっとうたおうではないか!
もっと生きようではないか!

今年もみんな、ありがとう。
来年もよろしく!