親心 | ミトココロノココロミ

親心

秋田の児童殺害事件で,
容疑者が自分の娘に対してやっていたことが,
所詮は自分の見栄のためにやっていたことではないかうんぬんと,
マスコミでは言われたりしているようだ。
それであの容疑者をひどいやつだと決めつけたいのだろうが,
世のいわゆる「教育熱心な親」というのはこれと大差無いように感じる。

今,小学校3年生を教えているが,
塾の宿題をやっている時間が無い,と親がいう。
そんなべらぼうな宿題を与えているわけでもなく,
私は「ここまでやれたら十分やから」と
子どもたちには極めて控えめに宿題の量を提示しているつもりである。
「そんなはずはなかろう」と思って話を聞くと,
他にピアノやらバレエやら英会話やらサッカーやら野球やら
バイオリンやら公文式やらを習ってるという
(大抵はこのうちの複数を習っていたりする)。
口に出しては言わないものの,
私はこの手の相談を受ける度に
「おたくの息子(娘)に何をさせたいんですか?」と呆れ果てる。
その全部がものになるとでも思っているのだろうか?
中途半端なものばかりを拾い集めてどうするつもりなのだろう?
この時期の子どもの教育で,何より大事なのは
自分であるものを「楽しい」と思わせることだと私は思う。
全部中途半端なら,何一つ楽しめるわけないではないか。

奈良での放火殺人事件を見てても,
子どもが親の顔色をうかがいながら勉強していた節が見える。
勉強なんて自分で,あくまで自分のためにやるものだ。
いい年した子どもの成績に親が介入していること自体がどうかしている。
仮にそんなやつが親の期待に沿って医者になったとしても,
そんな主体性の無い医者,こっちから願い下げだ。
あそこの父親が「教育は家庭の役割だ」うんぬんと言っていたというが,
どうも激しい勘違いが顔を覗かせているように感じる。
親の勉強に対する役割は
「色々楽しいものや,やりがいのあるものを垣間見せてやること」と,
「最低限の環境を与えてやること」ぐらいではなかろうか。

子どもは親心なんて汲まないもの。
教育なんて,それぐらいに思っててちょうどいいぐらいのものだと思う。
子どもは親のおもちゃではない。