感性
今は「感性の時代」みたいなことを言う人がいる。
いわく,「『好きなものは好き,嫌いなものは嫌い』という
個人の感性的な価値観が表立った時代」だのうんぬんかんぬん。
はて。
それって「感性」なんですかね。
私には単なる「生理的な反応」にしか聞こえないのですが。
言葉の厳密な定義をさておき,
相も変わらず言葉遊びに終始しますが,
感性ってもっと強力なようのもののように感じるのです。
例えば,昔の宮大工の感覚。
「樹齢千年の樹で建てた家は千年もつ」。
もちろん樹齢だけの問題では無いでしょうが,
実際,彼らの考えって実証されているわけですよね。
でも,彼らが経験的にそれを知っていたはずはないわけです。
千年生きれるわけないんですから当たり前ですね。
でも,彼らは「知ってた」わけです。
それを知り得たのは,彼らの「感性」が研ぎ澄まされていたからじゃないかな,
とそんなことを思ったりするわけです。
感性ってのはそういうもんだと思うのです。
生理的な感覚なんて,
まさに赤ん坊でも持ってるわけです。
おむつがしめって気持ち悪ければ泣く。
ちまたで言われている感性って,
その赤ん坊の生理となんら変わらない低俗なものだと思うのです。
単純で,深みの何にも無い,生理的な感覚を
「感性」なんて言葉で美化しちゃいかんと思うのです。
いわく,「『好きなものは好き,嫌いなものは嫌い』という
個人の感性的な価値観が表立った時代」だのうんぬんかんぬん。
はて。
それって「感性」なんですかね。
私には単なる「生理的な反応」にしか聞こえないのですが。
言葉の厳密な定義をさておき,
相も変わらず言葉遊びに終始しますが,
感性ってもっと強力なようのもののように感じるのです。
例えば,昔の宮大工の感覚。
「樹齢千年の樹で建てた家は千年もつ」。
もちろん樹齢だけの問題では無いでしょうが,
実際,彼らの考えって実証されているわけですよね。
でも,彼らが経験的にそれを知っていたはずはないわけです。
千年生きれるわけないんですから当たり前ですね。
でも,彼らは「知ってた」わけです。
それを知り得たのは,彼らの「感性」が研ぎ澄まされていたからじゃないかな,
とそんなことを思ったりするわけです。
感性ってのはそういうもんだと思うのです。
生理的な感覚なんて,
まさに赤ん坊でも持ってるわけです。
おむつがしめって気持ち悪ければ泣く。
ちまたで言われている感性って,
その赤ん坊の生理となんら変わらない低俗なものだと思うのです。
単純で,深みの何にも無い,生理的な感覚を
「感性」なんて言葉で美化しちゃいかんと思うのです。